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重原直彦にとって矢沢学とは…   重さんを応援して下さい。嘆願書よろしく! [ファミリー]

重原直彦にとって矢沢学とは…

僕が初めて永ちゃんに出会ったのは、中学三年生の時です。yazawa-img[1].gif

初めてライブに行き、そして憧れました。
この人みたいな【男】になりたいと。
最初は、女性にもてたい、金持ちになりたい、そんな不純な動機でした。
そして高校一年の夏、ある劇団の芝居に出会い
『そうだ!役者の矢沢になろう!』
不純な動機を持ったまま、名古屋の劇団に入団しました。

やはり、軟派な気持ちでは長続きはしません。一年間で、夢はもろくも崩れ落ち、
それから十数年、夢見る事すら忘れ、ただ毎日、自分一人の欲の為だけに生きていました。
もちろん、三十代に入る為のパスポートに判など押してももらえず…

31歳の時、今の妻と出会い、我の欲だけに生きる事の愚かさを学び、
妻だけを幸せにしたいという気持ちだけで、再び夢の扉に向かいました

『永ちゃんの様な【人間】になりたい』そして、永ちゃんの目と同じ目になりたい。
年々、白く透き通っていく白目に…
そこからでした。重原直彦の真の人間としてのスタートは。

永ちゃんの様な人間になる為には、
まず永ちゃんに会ってもらえるような人間にならなくては。
三十年間、嘘偽り、人を傷つける事が当たり前の人間でしたから、
それを矯正するには、並大抵の苦労ではありませんでした。

しかし、その中でわかってきたんです。人間矢沢永吉の魂が。
『そうだ!役者で人を幸せにしたい』
我の欲が人に対する欲に変わってきました。
そしてその頃から、ラジオでも何度かお話しした事なのですが、
【自己満足】の意味も変わってきました。【自己満足】は、
同じ楽しさをたくさんの人と共有出来る事によって初めて成立すると。

真実のハッピーのレールで進みたいと決め、32歳の時、
今の事務所の研修所に入所しました。マイナス100位からのスタートでした。
まず0になりたい、その気持ちでしたが、仕事は芝居(客演)ビデオのエキストラ、
テレビラジオのエキストラ、鳴かず飛ばずの日々が六年。
どんな小さな仕事でも、何でもかんでも受けまくり。

『どこかにきっと永ちゃんにつながる道がある』

そう自分に言い聞かせて。当然、甘くはありません。
年令的には、あきらめて当たり前の年令になっていきます。
『いくつになっても構わない、とにかく永ちゃんに会いたい。そして妻を幸せにしたい』

やっと2002年39歳の春、

ラジオのレギュラーが決まり、そこからです、真の自己満足の旅が始まったのは。
その旅こそが、永ちゃんへの道、妻を幸せにする道だったのです。

2005年、重原はまだYAZAWA学を学んでいる生徒の一人です。
そして、これからも学んでいくつもりです。永ちゃんの他にも、
たくさんの人間の仲間が教えてくれるんです。

まだまだやったらんかい!いったらんかい!

この精神で、死ぬまできちんと突っ張って生きていきます。
たくさんの人間の同士と共に。

今の世の中、人を疑わなければ生きていけません。そうしないと、自分を守る事は出来ません。
だけど、ここは人間の世界です。たくさんの真の人間がいます。

人に信じてもらいたければ、まずあなたが人を信じてみる事です。

数年前、妻と永ちゃん以外、誰一人信じる事が出来なかった
重原が言っているんですから・・・間違いない!
今現在、たくさんの人を信じられて、重原めちゃくちゃ幸せなんですからー!!

これこそが、今の世の中で一番難しいYAZAWA学なのかも。

だけど、難しい事への挑戦が、幸せへの道だと、永ちゃんは教えてくれてますよ。

★N.Shigehara(^_-)★ 2005年

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